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岡島秀樹
|出身地= 京都府京都市
|誕生日=
|身長= 186
|体重= 88
|守備位置= 投手
|打席= 左
|利き腕= 左
|背番号= 37
|年俸= $1,275,000(2008年)
|初出場= 1995年(日本野球機構|NPB)、
2007年(メジャーリーグベースボール|MLB)
|経歴= 東山中学校・高等学校|東山高-読売ジャイアンツ-
北海道日本ハムファイターズ-
ボストン・レッドソックス
}}岡島 秀樹(おかじま ひでき、英語表記:Hideki Okajima、1975年12月25日 - )は、ボストン・レッドソックスに所属するメジャーリーガー。
ポジションは投手。背番号は37。愛称は日本では「オカジ」、アメリカでは「Oki(e)(オーキー)」「Oka(オカ)」。
京都府京都市伏見区出身。血液型はO型。
人物
1995年から2005年まで、読売ジャイアンツに在籍し、先発投手、セットアッパー、クローザーとして活躍した。2006年に北海道日本ハムファイターズへ移籍し、優勝に貢献。同年末にフリーエージェント|FA権を行使し、ボストン・レッドソックスと契約。投げる際にホームベースから顔を逸らす独特の投球フォームで知られている、使い減りしない左腕リリーフ投手である。かつてはカーブ (球種)|カーブが軸の投手だったが、メジャーリーグではオキ・ドーキー(Oki-Doke)と呼ばれるチェンジアップを多投するようになる。家族は、フリーアナウンサーの栗原由佳夫人と1男1女。
来歴
* 美豆小学校-大淀中学校-東山中学校・高等学校|東山高卒業
読売ジャイアンツ時代
1994年にドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。球威ある変則フォームの軌道から、大きく揺れ落ちるカーブと、148キロ前後の速球を武器に台頭。1996年5月7日に、プロ初勝利を挙げた。その試合のウイニングボールを持って帰ろうとしたが、来日後初セーブを記録したマリオ・ブリトーもそのボールを欲しがったため、2人で話し合いが行われ、「マリオがセーブを記録したことをボールに記入する」という条件付きで、岡島が譲り受けた。1997年頃から一軍に定着し、先発・中継ぎとして起用される。1999年8月31日の対中日ドラゴンズ|中日戦、1回表ノーアウト1塁、3塁の場面で、先発した斎藤雅樹が怪我のため降板、急遽2番手としてマウンドに登った。その回を無失点で切り抜けると、そのまま9回を投げ抜き、0点に抑えた。「完封は成立するが、完投は成立しない」という、大変珍しい記録であった。彼以降でこの記録を達成した投手は一人もいない(完封の項を参照)。2000年にはクローザーとして優勝に貢献し、2001年にも抑えを務めた。球威ある速球と「空振りを取れるカーブ」を絶賛される反面、制球難からくる打率|被打率・防御率の高さを指摘されていた(2002年までチームメイトとして巨人に在籍し、メジャーリーグベースボール|メジャーリーグで対戦した松井秀喜も、「あそこまでコントロールのいいイメージはなかった」と評している)。2002年以降はセットアッパーに回り、球速を140キロ前後に抑えながらも制球を重視したフォームに修正、四死球も半分近くに減少する。しかし持ち味の球威が不足し、頼みのカーブの効果も減少するなど悪循環に陥り、新球を試すなど試行錯誤を繰り返した。2006年3月24日の開幕直前に實松一成、古城茂幸両選手との1対2の交換トレードで北海道日本ハムファイターズへの移籍が決まった(巨人河本育之⇔日本ハム中村隼人(隼人)以来2年半ぶりの巨人と日本ハムのトレード)。
北海道日本ハムファイターズ時代
4月25日に一軍に昇格。札幌ドームなどパリーグの大型球場を戦場としたことで、制球重視フォームのデメリットだった球威不足が劇的に解消されることになる。前年2桁を記録した被本塁打は半分に減り、奪三振率、被打率、与四球率も良化。巨人時代にもなしえなかった防御率2.14の好成績を残した。1年でFAを取得する選手の獲得には疑問視する声も日本ハムにはあったが、シーズン中盤以降は右のセットアッパー武田久とともに主に7〜8回を担当する左のセットアッパーとして、チームの優勝および日本一に貢献した。
ボストン・レッドソックス時代
2006年オフフリーエージェント|FA権を取得・行使し、11月30日にボストン・レッドソックスと2年契約を交わす。契約内容は2年250万ドルで、3年目については球団側が175万ドルの選択権を持つ。4月2日、開幕戦のカンザスシティー・ロイヤルズ戦カウフマン・スタジアムがメジャーデビューとなった。最初の打者ジョン・バックに初球本塁打を打たれた。これはメジャー史上7人目である。この被弾から岡島は短期間でカット・ファスト・ボール|カットファストボールを習得する。その後は抜群の安定感で5月22日の試合でストップするまで19試合連続無失点をした。2007年4月、防御率0.71の好成績でアメリカン・リーグ|ア・リーグ月間最優秀新人賞を獲得。日米を通じて初の公式タイトル受賞。6月2日にはニューヨーク・ヤンキース戦でメジャー初勝利を挙げた。オールスター前まで13試合連続無失点で折り返す。2007年7月、MLBオールスターで最終インターネット投票で32人目の男として選出されるが、登板機会は無かった。7月19日に失点し、15で連続試合無失点ストップ。8月以降は疲労の蓄積からか失点する場面も増えてきた。9月のヤンキースで4失点された後、ポストシーズンに備え休養を与えられた。半月後のミネソタ・ツインズ戦で復帰登板し、2試合連続無失点に抑え、最終的にシーズン最多登板の66試合3勝2敗5セーブ防御率2.22でレギュラーシーズンを終え、ポストシーズンを迎えることとなった。ポストシーズンは、ワールドシリーズ第3戦マット・ホリデーに本塁打を打たれるまでは無失点に抑えるなど、ワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。特にアリーグ優勝決定戦第7戦では、松坂大輔の後に6回から2番手で登板し、1点差を死守し、この試合の公式MLBのインパクト・プレイ・オブ・ザ・ゲームに選ばれた。ワールドシリーズ第2戦では、6回1死1, 2塁からカート・シリングの後2番手で登板し、2回2/3を無安打無失点4三振で完璧に抑え、降板時には地元ファンからスタンディングオベーションで称えられた。また、この試合の全米スポーツ番組が選ぶプレイ・オブ・ザ・ゲームに選ばれた。アメリカン・リーグ|ア・リーグ3位の27ホールドを記録、走者を置いたときの被打率はリーグ2位の.168と圧倒的な数字を残した。このオフには、MLB公式ウェブサイトによるファンが選ぶ最優秀セットアップ投手に圧倒的な支持(得票率45%。2位はジャバ・チェンバレンの16%)で選ばれた。ただ初年度は変則投法のために活躍できたと言う声も多く、真価が問われるのは2年目以降である。




トラバ有難うございます。
岡島データ参考になりました。